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57年前のきょう鳥取大火がおきました

 市街地の約3分の2にあたる約160ヘクタールを焼き尽くした鳥取大火は、57年前の1952(昭和27)年のきょう4月17日だ。わたしが小学6年生になった年です。当日は生暖かい風が強く吹いていた。
 最初の火事は午後2時55分ごろ鳥取市吉方の空家から出火(諸説はあるようだが)火はフェーン現象による強い南風にあおられて、周辺の家々に燃え広がっていった。(風による飛び火も多かったとの話も聞いた)火の勢いは懸命の消火活動にもかかわらず衰えず翌朝まで燃え続けた。
焼失家屋5000戸余りと記録されています。
 わたくしは小学校6年生になったばかりでした。午後の授業の終わりごろだったのでしょうか。学校(遷喬ーせんきょうー)の屋上にあがってみると駅の方向に大きな黒い煙があがっていました。

 先生から急いで帰宅するようにと指示が出されました。帰宅したものの当時は母たちは働きに出ていて留守。まだ火の手が家の近くまで心配はしていませんでしたが、町全体が騒然としていて不安でした。やがて母や姉も帰ってきて様子をみることに。時間の経過ともに消火が火に追いつかない、大きな火事になりそうとの情報が人の口から口へ伝わってくる。あたりが暗くなるにしたがって空高く勢いのいい火柱が上がるのが見える。やがて火が袋川を越えたの情報。家のある町内(元大工町)のも燃え広がる危険ありいつでも逃げれるよう荷物を作った。時間はよく覚えていないが小学校にも火が入ったと知らされる。学校の建っているあたりを見ると大きな火柱が上がっていた。
「燃える、燃える、学校が燃えると」言い続けたことを覚えている。

 幸い私の住む町内には火が入ることはなく、火事は朝方には鎮火していった。

 まんじりともせず夜をあかした。

 明るくなって大通りに出てみてびっくりした。あたり一面焼け野原。駅の方向見るとずーと遠くまで見える。

 学校は焼けて無く、やがて修立小学校を借りて二部授業。天気のいい日は近くのおおちだに公園での青空教室。

 翌年の卒業式の写真は学校再建の工事中の砂利の山を背景にしている。
DSCN3040_convert_20090418222333.jpg
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